ナポリ散策
2012年 12月 27日
滞在を一日伸ばしてナポリに遊びにいく予定だったので
ちょっとがっかりしていると、
雨はやみ、みるみる空は晴れ渡って来た。
あの山のむこうが海、そしてナポリ。
直線距離は短いものの、この山を左からか右からか超えないといけない。
それでも45キロほど。
45分ほどのドライブでナポリに到着。
ミンモとピーナガイドによるナポリ散策スタート!
2人とも時期はちがえどナポリに長らく住んでいた、ジモティー。
まぶしい太陽!
体感温度は20度ちかく。
そしてすごーい人。
私はナポリ4度目。
地理のことなどだいたいは把握している。
パオロは初めて。
早速ランチ、ピッツァを目指す。
王宮のあるプレビシート広場の近く、カフェ・ガンブリヌスの横の道を入った右手。
創業1780年、パヴァロッティもファンだというマルゲリータ発祥の店ブランディ。
東京にもオープンしたダ・ミケーレと肩を張る老舗。
ピーナのお気に入りのひとつで、
サブリナとナポリでショッピングにくるときは
ここのテラス席を陣取るそう。
アンティパストにブルスケッタとフリットを。
小玉のモッツァレラのフリットは外せない。
10個はいきたいくらい美味しい!
(無理だけど。)
ピッツァはもちろんマルゲリータに、カルツォーネ。
もうね、生地が違うのだ。
ナポリでピッツァを食べたら他では食べたくなくなるもの。
きっと水(水道水)の成分に違いない。
NYのベーグルが他と違うのも、秘密はNYの水っていうしね。
(何が入ってるんだか。)
ギターの生演奏でナポリの歌をききながら、念願のピッツァを満喫。
そしてプレビシート広場のとなりの広場にある
カッフェ・デル・プロフェッソーレで
ナポリいち(=イタリアいち?)美味しい
カフェ(イタリア式にはカッフェ)エスプレッソを。
ナポリのカフェは超ストレット(濃縮、で量が少ない)で、
北では4口で飲み干すカフェが、ナポリでは一口半ほど。
砂糖の量も南にいくほど増えていく。
そしてカフェの種類も多い。
夏の定番、カフェシェケラート(コーヒーシャーベットみたいなもの)は
他で飲むのとは比べ物にならないほど美味しかった。
プレビシート広場(左)と、
広場のむこうがわ、丘の上までいけるケーブルカー乗り場(右)。
子どもは誰でもしっている♪おに〜のパンツ♪の原曲、
フニクリ・フニクラは、
もともと1880年にできたこのケーブルカー
(イタリア語ではフニコラーレ(Funicolare))の
PRソングとして誕生した。
バールとならんでナポリに多いものは、教会。
4、500mにひとつはあるという。
そして豪華絢爛なものが多い。
通りすがりにいくつか見て、
「この一角をいま作るとなったら大理石加工だけで
材料、職人、ざっとみても一億円はくだらないね。」
とミンモとパオロ、職業柄のはなし。
さて、スパッカナポリに到着。
ミンモが是非見せたかったという
サンセヴェーロ礼拝堂を拝観。
撮影禁止なので、彫刻画像は礼拝堂のHPから。
小さな礼拝堂の天井にはため息もののフレスコ画、
そして中央にはGiuseppe Sanmartino作の
「ベールに包まれたキリスト(1753年)」。
薄く柔らかに見えるベールの下に透けてみえる肌の質感、
腕の血管など細部まで精細に彫られている。
たしかにすごい。
でもなんだか真空パックになってるみたい。
もうちょっとふわっとしてるところがあってもいいのになーと思ったりして。
これまたすごいのは、右手にある編みをまとった像。
ローマにあるトレビの泉の彫像制作にも関与したFrancesco Queirolo作の
「暴かれた欺瞞(1753-53年)」。
大理石から人だけでなく絡みつく太い縄まで掘り出してあり、
まるでホンモノ。
近くには、骸骨の装飾がちりばめられた教会、サンタ・マリア・デッレ・アニメ教会。
17世紀に流行した死者信仰を反映している。
地下には身寄りのない人の遺骨が収められていて、
近隣の住民は、ロウソクを持って供養しにいくと、
近所に住んでいたピーナはいう。
右はピーナが12才から結婚するまで住んでいたスパッカナポリの家の前。
チャイムをみると、当時住んでいた人の名前がほとんど。
残念ながら留守でした。
左は近所のサン・ロレンツォ・マツジョーレ教会。
13世紀に建てられ、ここでミンモとピーナは夫婦になった。
重要な教会の脇の民家には普通に洗濯物がひるがえっているのも
ナポリらしい風景。
ピーナがカフェしにきていたバールでナポリ菓子のババを。
シロップをたっぷり含んだブリオッシュ生地に、
ラム酒をたっぷり、が定番。
ババ専門店もあって、クリームた〜〜っぷりで見るだけでめまいがしそう。
サン・ロレンツォ教会の角を曲がると、
ずらーりプレゼーペ(プレゼピオとも)を売る店が。
これまたすごい人!
こんな通りがいくつかあり、12月上旬には一方通行になるそう。
クラシックなものから、変わり雛的な、話題な人などをかたどったものも。
人形や風景の模型を並べてキリスト誕生の場面をあしらったもので、
ミンモの家にも立派なものがあるけれど、
南にいくほど飾る人が多いよう。
(クリスマスツリーは後からはいってきた文化。)
本来毎年ひとつずつ買い足していく(あるいは作る)ものだそう。
プレゼーペがあったと思えば、ベファーナも。
1月6日のベファーナでナターレは締められる。
ピーナが小さいころはナターレはイブに家族で食事をして夜中にミサにいっておしまい。
バッボナターレ(サンタクロース)はいなかったとか。
それで、ベファーナのイブに靴下をつるしておいて、
翌朝いい子にはプレゼントが、悪い子には炭が入れられていたそう。
同世代のパオロいわく、パオロが小さいときにはバッボナターレもいて
2度プレゼントがもらえたって。
これも北と南の違いか・・
かけあしでまわったジモティーガイドによるナポリ散策、
今まで通ったことがある通りも別の目で見られた。
また連れて来てもらおう♪
ちなみにベビーカーは持っていかなかった。
ゆえにゆまは交代でかついで移動。
体重11キロ強、長距離移動にはなかなか大変・・
でもぼこぼこ道や人ごみがすごい通りは結局かつぐはめになっただろうな。
今度は歩いてね。